先日明るみになった京都教育大学の学生による居酒屋レイプ事件。
事件そのもののあらましは、なんか既視感がある、きわめてオリジナリティの低い(しかし、もちろん醜悪にして卑劣な)ものですが、今回は特に大学側の対応が、非常にマヅかったことが、世間の印象をより悪くするポイントとなっているようです。
「教育的配慮」の名の下に事実を非公表にするなどは、事件を隠蔽していると誤解されかねないし、そもそも初期対応もかなりおざなりだったように解さざるをえないです。
はては加害学生のひとりが、停学処分後に地元教育委員会に勤める父親の口利きで学童保育の指導員のアルバイトについていたなどは、ちょいと笑えない笑い話となってしまっています。
加害学生(逮捕されたのは6人)には刑事責任も含めて厳重な処罰を望む声が、方々から上がっていますが、これもまた必然でしょう。
さらには、今回の加害学生が属するのが「教育大学」、すなわち彼らが教育者の卵という立場でありながら、かかる行為に及んだということが、これまた世間の否定的な反応を引き起こしている側面は否めません。
少なくとも、彼らが自らの欲望のために他者を蹂躙してもまったく平気なメンタリティの持ち主なのだとしたら、将来において教壇に立って欲しくないのは、私も今では子どもを学校に通わせている親の立場として同感です。
ただ、同種の事件の再発防止という観点からすると、単純に加害者の人格を問題視し、あくまでも個人的な責任を追及したとしても、それはあまり効果的ではないというのもまた真理です。
実際、「名門大学の体育会系の学生が」「互いの人間的親睦を深めるべき場を悪用して」「女性に性的暴行をおこなった」という共通項を持ち、かつ事件として表面化したものだけでも、この10年余りの間に複数回の再発を見ていますから、いわばこうした事件が起きてしまいやすい構造自体は、じつはまったく手付かずだと言ってもいいのでしょう。
例えば、なぜ体育会系なのか?
そこに特定の男性集団に身を置いた際に人が陥ってしまう、ある種の歪んだ価値観の磁場があるのではないか?
よく言われるホモソーシャルな閉鎖社会の中で、互いの“男らしさ”を競い合うことで、その内部での地位が上下するという力学が、集団の行為の暴走を止められないことにつながっているという、ソレが体育会ではより顕著なのか??
(もちろん体育会系の体格が物理的にレイプを容易にしているという要件もあるでしょう。同様の磁場を持つ男性集団でも体格的には恵まれないパターンの場合は……やっぱアレですかね、これも先日問題になった“陵辱系”ソフトとか?)
あるいは、本来は持っていることが健全とされる男性としての性欲が、偏った情報に立脚して喚起され続ける結果、女性との関係性に不均衡が生じてしまう、そういう根源となっている、異性愛規範を持つ男女二分的な社会の在り方はどうなのか!?
……こうした観点から、事件の深淵を掘り下げて検証していくことは、決して社会が悪いせいにして事件をうやむやにしてしまうことではなく、逆に本当に醜い真実をつまびらかにすることで、世の中を変革するきっかけになるはずであって、それは勇気をもって告発をおこなった被害女性の意にも沿うものなのだと思います。
今の世の中が、女性に対して性的欲求を抱く者であれば誰でも、その人格いかんにかかわらず、同種の事件を起こす方向へ行ってしまいやすい、そういうふうに流されかねない構造になっているとしたら、……コワイでしょ? アナタも。
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◎ちなみに「M教師」というのは元々人事考課用の隠語ということなので、意味的にも明確な定義はないみたいですが、だいたい大きく分けると3パターンの事象を指すようです。
1.知られざる裏の顔に問題が潜む場合。公になるとあまり印象のよくない趣味とか。それがプライベートな範疇に収まっていればともかく、コレが特に教え子に対して何かしてしまうこととつながって、職務とクロスオーバーした際に大問題となる。
2.いわゆる学級崩壊を起こすなど、児童生徒とのコミュニケーションリテラシーを欠く、あるいは教科的なスキルが低かったりもする、指導力不足教員。
3.生徒などの側からは問題なくとも、管理職の命令を聞かなかったり――いわゆる日の丸・君が代なども含めて――する、そっち方向から見た問題教師。人事考課ということからすると、むしろコレが本来の用法なのかも??
拙著『M教師学園』でも、これら3パターンの問題をいろいろ織り交ぜて描いていますが、タイトルなど、イメージ的にはやや[1]がメイン!?
ただ、やはりこうして見ると、純然たる教育問題なのは[2]だけで、[1]と[3]は、社会のさまざまな事柄と結びついていて、一筋縄では解決できない難しいテーマです。
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